こんにちは。
金川顕教です。
文章を書くうえで、
多くの人が誤解していることがあります。
それは、
「文章の量は多ければ多いほうがいい」
ということです。
確かに情報が多いほうが、
論理的に相手を納得させたうえで、
心を動かすことができるような気がします。
しかし、それは間違いです。
人という生き物は、
論理で動いているようにみえて、
実は感情に支配されています。
感情によって決定された行動に、
後から論理づけをしているに過ぎません。
例えば浄水器の営業マンが
あなたの家に営業に来たとしましょう。
営業マンが親切で、
感じが良かったらから
浄水器を購入した場合、
「なぜこの浄水器を購入したの?」
と聞かれたら、
その人はその浄水器の
メリットについて話すでしょう。
逆に営業マンが無愛想で、
感じが悪かったから
浄水器を購入しなかった場合、
その人は同じように、
浄水器のデメリットについて話すでしょう。
まったく同じ浄水器だったとしても、
営業マンがお客さんの感情をプラスに動かすのか、
マイナスに動かすのかによって
成果は180度変わるということです。
そして恐ろしいことに、
お客さん自身もそのことに
気づいていないケースがほとんどです。
浄水器を購入した場合は
「浄水器の性能が良かったから購入した」
と思い込んでいますし、
浄水器を購入しなかった場合は
「浄水器の性能が悪かったから購入しなかった」
と思い込んでいます。
自覚すらできないほど、
人の行動は感情に
支配されているということです。
ということは、
文章の量を多くして論理的に
「この商品が優れている」
ということを証明しなくても、
感情さえ動かせば、
人はその商品を買ってくれる
ということがいえますね。
そして人間が持っている
もう一つの面白い特徴に、
「受け取る情報が足りないときは、
自分の想像や予測によって足りない部分を補う」
というものがあります。
その想像や予測は、
過去に強い感情を伴った、
記憶に残りやすい出来事が
由来しやすいです。
自然とその人にとって
「好ましいこと」や
「望んでいること」に
想像力を働かせることになります。
よって、相手の感情を動かす
文章を書く際には、
「一分の隙もない100%の情報を
びっしりと詰め込む」
というスタイルではなく、
「読み手が自分の都合のいいように想像できる、
余白を残して書く」
というスタイルのほうが効果的なのです。
俳句などは、
まさにそうではないでしょうか。
五・七・五という
非常に短い文字数制限の中で、
季節やわびしさを表現し、
相手の感情を動かしてしまうのです。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
という俳句があります。
この俳句には、
その古池がどの程度のサイズなのか、
飛び込んだ蛙はアマガエルなのかトノサマガエルなのか、
水の音は「ドボン」なのか「ポチャン」なのか、
といった細かい情報は一切書かれていません。
非常に余白が大きい文章だと言えますが、
その余白を人間の脳が自動的に想像力で
補完してくれるのです。
この俳句を聞いて多くの人が想像する情景は、
実際に松尾芭蕉が見た情景よりも
美しいかもしれませんよね。
また、小説を実写映画化したときに
「小説の方が良かった」
という方が多くいます。
これも同じ理屈です。
小説は細かい描写をどんなに重ねたとしても、
その部屋のカーテンの色が何色なのか、
主人公の顔はどんな顔なのか、
100%の描写はどうしてもできません。
しかし、映画の場合は画面に
すべてが映りますので、
観客が想像力を働かせる余地がありません。
「小説の文章から想像した、
読者の頭の中の映像」の方が、
「実際の映画の映像」より優れているから
「原作の方が良かった」となるのです。
文章には、あれもこれもと
情報を網羅する必要はありません。
情報量はあえて減らし、
メリハリをつけて書くといいでしょう。
それが読者の心を動かし、
行動に写してもらえることができるのです。
金川顕教
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